きらっと輝く事例の紹介
私たちは、「いのちの平等」と
いつでも、どこでも、だれもが安心できる良い医療と福祉を目指しています。
「患者の立場に立ち、患者の要求から出発し、患者とともにたたかう。」
病気の症状だけでなく、患者さまが元気になる上でのパートナーとして、
患者さまがどんな人で、どんな生活をしてきた方なのか。
何を望み、何を求めているのか。
その人の生活や背景まで「看る」ことを大切にしています。
80歳代の女性。寝たきりの方で、7年間、娘さんが自宅で介護されていました。胃ろう交換のために入院したときに肺がんが見つかり、痛みの調整をして自宅への退院を予定していました。
徐々に全身状態が悪くなり、病院で最後を迎えたいという希望に変わりました。7年間という長い間、ご自宅で介護されてきたのですから、最期は、ご自宅で見てあげたかったと思いますが、女性の苦痛を緩和することを最優先に考え、病院での最期を決められました。
ご家族の思いをくみ、少しでも自宅の環境に近く、周りに気を使うことなく話ができるように、そして、車いすのご主人がいつでも付添いが出来るように個室へ移動し、環境を整えました。ご主人と最期を一緒に過ごさせたいと、ご家族から希望があったときには、個室にもうひとつベッドを用意しました。
亡くなる数日間、妻の名前を呼ぶ姿をよく見かけ、相部屋で夫婦水入らず、同じ時間が取れるような環境を作りました。
亡くなられた後は、エンゼルケア(人生の最後にふさわしく、生前のその人らしい姿に整えるためにお化粧などをして身体をきれいに整えること)をご家族と一緒に行いました。長女さんは「このおっぱいで子ども3人育ててもらった。とても厳しい人だった」次女さんは「よく頑張ったね。えらいね」と思い出話をしながら、穏やかな雰囲気でエンゼルケアの時間を持つことができました。
80代の女性。長年、訪問診療・訪問看護・デイサービスを利用しながら自宅で生活していましたが、脳梗塞で意識のない状態で入院されました。
長年関わっていた在宅科の看護師から、最期は自宅で過ごしたいという強い希望を聞いていたので、「息子さんへ、何かしてあげたいことはないか尋ねてみよう。その中で出来ることをみんなでしよう」と決めました。
息子さんからは、「自宅で最期を看取る自信はなく、無理かもしれないが家へ連れて帰ってやりたい」という気持ちを聞くことができました。すぐに在宅科と協力して、主治医と看護師が付き添い自宅へ外出しました。本人の意識はなかったですが、自宅前では「お母さん、おかえり」と近隣の方々の出迎えがあり、自分のベッドに戻ったときに大きく息をはいたそうです。意識はなくても耳から入る音は最期まで機能として残っています。安堵と家の空気に包まれた安心感があったのでしょうか。
同行した2名の若い看護師は、途中で自分たちがこの場にいてはいけないと思ったと病院に帰ってきてしまいました。自宅のベッドに横になっている傍らに自分たちがいるのが不自然だったから、と言っていました。それを聞いたときに、素敵な感性を持った看護師で、本当に場を大切に考えてくれていることを嬉しく思いました。
この方は外出から2時間後にご家族に見守られながらご自宅で息を引き取りました。亡くなられてから後日、息子さんが病院に挨拶に来られた際、「家へ連れて帰る話を言ってもらったタイミングで帰ることができて良かった。声を掛けてくれて本当にありがとう」という言葉をいただきました。